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受容のための祈り

ずいぶんと前に手にした1冊の本に
シュタイナーのこんな一節が載っています。
 
 
何が来ようとも、次の時間、次の日が私に何をもたらそうとも、
とりあえず私にはそれがなんであるのかわからないとしても、
不安や恐れによってそれを変える事はで きない。
 
私はそれを完璧なる内的な魂の平静によって、
完全に海の様に静かな心情と ともに待ち受ける……。
 
私たちの進化は恐れと不安によって妨げられ、
不安と恐れの波によって、
未来から 私たちの魂に入ってこようとするものを退けてしまう……。
 
出来事において神的叡智とよばれるものに帰依すること。
 
来るべきものは、そうあるしかなく、
それは何らかの方向において良き働きを持つはずだという、
考えと感情 と心情生活の力を、繰り返し自分の中に呼び起こす事。
  
この気分を魂の中に呼び起こし、それを言葉と感情と理念において生き抜く事、
それが受容のための祈りの気分である。
 
 
ルドルフ・シュタイナー 「祈りの本質」より
 
 
繰り返し、繰り返し自分に聞かせていく。
来るべきものは、そうあるしかなく、
良き働きを持つはずだと。。。
 
あきらめず
なまけず
移り気せず  一途に。。。。
 
昨日、ある男性にどんな人がいいですか?とたずねたら
何があっても一途に生きている人って素敵だな。。。って思うと返事。
 
私も同じ。。。
 
自分の人生振り返って見ると
私の周りには、一途に生きる人がいっぱい。
 
私はそんな人を見ながら学び、憧れ、感化されここまで来られたと思います。
 
それはそれは大変なことを抱えながらも
いつもにこやかにいる人
 
これでもか、これでもかというくらいに試練が訪れても
10年、20年、30年とやり続けている人
 
これから、そんな一途さが光を浴びていくでしょう。
いいえ
浴びて欲しいと祈ります。
 
新しい時代を。。。
 
 

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