ボトル78番
このボトルは何度か使っていますが、今回は、ちょっと印象的。
一日に何度も自分の最後、お葬式のことがふとよぎったり、
知らず知らずのうちに考えているのです
それは、誰かと楽しく話している最中に、
あるいは、道端でお会いした方と挨拶した瞬間になど、しょっちゅうなのです。
それが引き寄せを行い、日常のあらゆる時間の中で
「人の最後」に関わるものを頻繁に目にしていきます。
さらに 地球お誕生日も迎え、より、生と死を意識する時間が (ダメ出し~)
「死」への意識に気づいたのは、ボトルの残りが半分以下になってから。
おや? そう言えば・・・・
そして、あら? このボトルって・・・・ そんな感じです。
自分の内側の深いところにある「恐怖」が見えます。
そして、それが新しい始まりの移行を阻むという感じもわかります。
すべてに終わりがある。それは理解できている。
それは、いつ訪れるのか、計り知れない。それも理解できている。
なのに。。。。
それは、終わりの迎え方に「理想」があるからです。
というより、これは嫌だというこだわりがあるからです。
簡単に言うと、往生際が悪いのです。
再発に対して西洋医学的な治療をせず20年以上も生き
血液検査の数字を見ながら、よく生きているよね。。。と思うほど余力の人生なのに
たくさんの想いが叶って、 何の未練があるというのでしょう。。。
それは、不明です でも、なぜか、今だと思えないのは確か。
最後の最後まで、自分の意志を脈動させて行きたいのでしょうか。私
ラジオでもお話ししましたが、
このボトルは、すべての「移行」をサポートすると言われます。
死にゆくこと、生まれ来ること、何かを失い、何かを始める すべてにおいての移行です。
自分には、かつて、命に関わる大きなものを失ったという経験が創りだす世界。
そのトリックが見えます。
何を終わらせ、何を始めるのか。
実は今の私の中で、結構なウエイトを占めている議題です
何が終わろうとも
新しく始まるその向こう側には、
すばらしく自由な光に満ちた世界があることを楽しみにしたいですね。
たとえそれが、生の終わりであろうとも。。。