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守るもの

人は必ず何かに守られている・・・・
日頃、少なからず、私たちはいろんな危機から守られている感覚があります。

それは家族、友達、先祖、守護神、天使、等々・・・いっぱい。

それでも、突然に「命」の終わりが訪れるとき
理解不能です。
なぜ、止まらなかったのか。止められなかったのか。

それらを超えて人の「意思」が存在するのか
それとも、それ自体が、それらの「意思」なのか
・・・と・・・私の探求は終わりを迎えず、永遠を辿ります。

ただ「とにかく生きるのよ!」では、終わらない話。
「生きたくても、生きられない人もいるのに!」でも、減ることはないのです。

なぜ、生きなければならないのか。
苦しくても耐えて、あきらめずに、放棄せずに生きなさいでも、
生きるべき、でも、止められないのが現実。

仕事やプライベートのレベルでの目的ではなく
人類、あるいは、生物としての目的みたいなものに
触れていることが大切なように思います。
なぜなら、仕事やプライベートでの目的は、現象に囚われ、成功や失敗というジャッジが生まれ、感情というものを基準にして、選択を決めていきがちになり、もろく崩れ去っていくものが多い・・・。

もし、自然時間で社会が息づいていたら・・・・
もっと、結果は違っていくのではないか・・・と思うのです。

なぜ、苦しくても生きなければならないのか という問いかけも
なぜ、生きたくとも死んで行かねばならないのか という問いかけも
同じところにあると感じます。

そして、今回もまた、宿命を知り、運命を確認し、進むことの大切さを感じます。
なぜなら、0学やその他を通しても、その日、その決断を実行する種が
宿っていることを、見ることができるからです。
それも、12年に一度しか、いいえ、52年に一度しか訪れないような「一日」

それを「運命」や「宿命」として、終わらせなくてもいい選択が
私たちの手の中にあることを、今、生きる人たちに、知っていただきたいです。

常に微笑みながら、共にあるものがあることを
忘れないで。。。。

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