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白骨となれる身なり

・・・・されば、朝には紅顔ありて、夕には白骨となれる身なり・・・・
 
有名すぎる蓮如上人の「白骨の章」の一節
 
今年もお盆がやってきました。
お墓の掃除も何とかギリギリ間に合い・・・。
 
墓守をして23年。
母と過ごした時間と、母と離れてからの時間が同じになりました。
 
23年前は、汗を流しながら掃除をしていると
「若いのに・・・」と声をかけられたものですが
今じゃ、誰も声をかけません。笑
普通にお似合いな年齢になったからですね。
そして、1年ごとに要領を得て、今じゃ、墓掃除の達人っぽい 笑
そんな様子からも、時の流れを感じます。
 
で、一年に一回、お墓の扉を開き新しい空気と光を入れています。
素焼きの骨壺を見る度に、思い出す「白骨の章」
 
誰もが、無常の風きたりて、白骨となる。
周りがどんなに嘆き悲しんでも、生き返ることはありません。
 
・・・・誰の人も、はやく後生の一大事を心にかけて・・・・ あなかしこ、あなかしこ。
 
白骨の章の結びです。
 
お釈迦様は、後生に一大事があると教えました。
死んだあとに一大事が起きると。
 
生きている間も、大変なのに、さらに死んだ後も! という感じですが 笑
生きるとは、日々殺生を繰り返し、罪を重ねていくこと。
それは、誰も避けることのできない罪です。
 
だから、人々は信心決定をしていったのです。
 
特定の宗教の教義は横に置いておき、
「信心決定」こそが、人生を悔い無きものにしていく大切なこと要素であり、
普遍的な法則なのでしょうね。
  
終戦記念日。
世界中のすべての白骨となりし魂に
そして、これから白骨となりし命に
平和と静けさがもたらされるようにと祈ります。
 
 
 

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