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どういうものに?

昨日、懐かしい方とお話しすることができました。
人のご縁って不思議ですよね。
 
人生には、数え切れないほどの出会いがあります。
 
袖触れ合うも多生の縁 とか
縁なき衆生は度し難しとか言いますが
すべては、ご縁のあるところからしか、始まりは無いのです。
 
そして、縁無き者は、お釈迦様であっても救えない。
  
そのご縁。
どんなご縁にするかは、自分次第だということを
もう一度考えてみることが大切だなぁ・・・と
昨日、懐かしい人とお話ししていて、そう思いました。
 
縁なき衆生は度し難し・・・
人の忠告を聞き入れない者は救いようが無いということ。
 
そんなふうには、なりたくないといつも自分が思うこと。
  
そのご縁、どうしたいの?
続けたいの?
終わらせたいの?
平和にしたいの?
争いにしたいの?
 
昨日は、お店がお休み。
でも、そんな時に・・・という「ご縁」があります。
私はそんなミラクルなシンクロを心から喜べる人なので
その「ご縁」に思いを馳せ楽しみます。
 
滅多にお休みにすることがないので、
余計にワクワクです。
 
今は、ツイッターという便利なものがあって
「今日はお休みですが・・・」とつぶやくと
表明=顕れ 
ちゃんと、お店の前でバッタリ!
30秒ずれていたら会わなかったね!という
ミラクルな出会いが生まれました。
 
ほらね。。。笑
 
昨日は、一つ一つが奇跡のような出会いであることを
本当に大切にしている人と、久しぶりに再会し
学ぶことが多かった一日でした。
 
そんな時に、ふと思い出した詩「雨にも負けず」
 
そういうものに わたしは なりたい で締めくくられるこの詩は
娘が幼稚園の頃、暗唱して以来
いろいろな場面で思い浮かぶ詩ですが、これもご縁。
 
平和じゃない自分の心に気づいたら
「どういうものに わたしは なりない?」と問いかけてから
人とお話ができるようにしてくれた詩。
 
思い出す度に、「ご縁」を感じます。
 
自分にとって思い通りになる「ご縁」ばかりを
選びがちですが、
そうじゃないご縁にこそ、自分の心を見られる鏡があります。
 
嫌なことをする相手を見ているのでなく、
それを嫌だと思う自分を見ているだけ。
 
私は、どのご縁も、
多くの人に真の平和と喜びを生み出す種にできるようなものになりたい。
  
 
「雨ニモマケズ」
雨にも負けず  風にも負けず
雪にも夏の暑さにも負けぬ 丈夫なからだをもち
慾はなく 決して怒らず いつも静かに笑っている
一日に玄米四合と 味噌と少しの野菜を食べ
あらゆることを 自分を勘定に入れずに
よく見聞きし分かり そして忘れず
野原の松の林の陰の 小さな萱ぶきの小屋にいて
東に病気の子供あれば 行って看病してやり
西に疲れた母あれば 行ってその稲の束を負い
南に死にそうな人あれば 行ってこわがらなくてもいいといい
北に喧嘩や訴訟があれば つまらないからやめろといい
日照りの時は涙を流し 寒さの夏はおろおろ歩き
みんなにでくのぼーと呼ばれ 褒められもせず 苦にもされず 
 
そういうものに わたしは なりたい   -宮沢賢治-

どういうものに?」への2件のフィードバック

  1. 縁って不思議ですよね。
    どういうもにしたいのか?
    大切にしたいと思いながら自分の一時の感情でダメにしている縁もあるようです。
    争いたくないのに(笑)
    またまたいいお話ききましたぁ

  2. インラケチ!
    大切にしたいではなくて
    何があっても大切にする!という覚悟をして表明していけば大丈夫。
    ところが、案外、言えないことが多くて、そうそう、本気ではない自分が見えたりすることがあります。
    そんな時は、繰り返します。 笑

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